1973年4月、NHP活動の裾野を広げ、全従業員が参画できるものにするために、それまでのQCサークル活動を見直し、ニュー・ホンダ・サークル、NHサークル活動がスタートしました。
NHサークル
Hondaには、職場の仲間が自主的に集まり、身近な問題を継続的に改善していく小集団活動として『NHサークル』活動があります。
『NH』には、“現在(Now)、そして将来(Next)の新しい(New)Hondaを創造しつづけたい”という願いが込められています。
ホンダの原点、ホンダの文化だと思います。
■『NHサークル』の歴史をご紹介していきます。
1953年: QC(Quality Control) 導入
1971年3月: QCサークル活動全社スタート
1972年4月: NHP施策導入
1973年4月: NHサークルスタート
1977年11月: 第1回NHサークル大会開催
(18サークル、約800人が参加)
ホンダにQCが導入されたのは意外と早く、1953年頃にまでさかのぼります。
1950年代前半は、日本中のさまざまな企業が盛んにQCを採り入れ出した時期でもあります。ホンダでも日本科学技術連盟(日科技連)のセミナーに参加してQCを学び、現場に導入しようという気運はあったようです。
【エピソード】
組織的ではなかったが、みんなで集まって活動するQCサークルもポツポツでき始めていたころ、浜松の野口・山下工場でも時を同じくしてQCの導入が進んでいました。
そんな折、品質管理について本田社長に説明する機会がありました。
『抜き取り検査方式について』です。
杉浦氏: 「この方法ですと、部品メーカーの側で品質確保が可能なばかりでなく、メーカーさん自体のレベルも上がるのです」
と力説。
本田社長: 「うんうん」
と聞いていました。
杉浦氏: 「もちろん、抜き取り検査ですから、千に1つ、いや、万に1つの目こぼしがあるのは、これは仕方がありません。もし不良品が外に出てしまったとしても、ごめんなさいで済ませた方が、全数検査するよりずっと経済的なのです」
と言ってしまった。
確かにセミナーで教わった通りのことです。
だが、この言葉に本田社長は激怒しました。
本田社長: 「そんなのが品質管理だったら、今すぐやめろ。全部やめろ」
そこにいた者たちは全員、杉浦氏が殴られると思ったそうです。だが、本田社長の拳は飛んできませんでした。
そのかわり杉浦氏に窓の外を見るように促しました。
応接室から外を見ると、若者がオートバイに乗って通り過ぎるのが見えました。ドリーム号です。
本田社長: 「あの連中はな、おれたちより実入りは少ないけど、乏しい中から月賦でドリームを買ってくれているんだ。おれたちは、ああいう若者たちからもらうお金を積み重ねて、工場を経営したり部品を買ったりしてるんだ。おまえは千台に1台ならいいと言うけど、あの若者にとっちゃ1台の中の1台よ。100%の不良品よ。いいと思うか」
「だからおれは『120%の良品』と言うんだ。お客さんの一つずつの満足を積み重ねなけりゃ、ホンダなんてやっていけないんだ」。
杉浦氏はハッとして、この人は統計なんて知らないけれど、企業にとってのQCの神髄を突いていると思ったそうです。
【NHP施策導入】
急成長を続けてきた今までの二十数年は、それで良かったのですが、しかし、それが通用しないほどの大きな時代の波が押し寄せてきました。1972年4月、企業体質を抜本的に見直し、全社的規模で改革運動を推進することが役員室で決定され、『NHPの展開にあたって』と題し、社内に発表されました。この施策はニュー・ホンダ・プラン、NHPと命名されました。
Nには、
・NOWの認識を通じ
・NEXTの課題を追求し
・NEWの体制をつくる
という意味が込められていました。
施策の導入により、同じ目的意識を持って仕事をする仕組みづくりができはじめ、新しいホンダが生まれてきました。
この仕組みは『プロジェクト』として、その後のホンダを大きく変える原動力となっていきました。
ホンダを変革する基になったのは、外から採り入れたものではなく、NHPを進めていく中で生み出され、培われたホンダ独自のものであった訳です。
【NHサークル活動のスタート】
1973年4月、NHP活動の裾野を広げ、全従業員が参画できるものにするために、それまでのQCサークル活動を見直し、ニュー・ホンダ・サークル、NHサークル活動がスタートしました。
Nには、現在の(NOW)、将来の(NEXT)、新しい(NEW)ホンダを創造し続けたいという願いを込め、従業員の意識改革を目指したのでありました。
そして、問題を理論的に掘り下げ、合理的に積み上げていくことを目標としました。
一人ひとりがNHサークル活動を通じて、そうした考え方を身に付けることが、新しいホンダの体質につながると考えたのであります。
【第1回NHサークル大会】
1977年11月には第1回NHサークル大会を開催。
会場となったのは鈴鹿サーキット。
その時、専務となっていた杉浦氏は役員講話で、自分が本田社長からしかられた話を参加者の前で披露し、次のように語り掛けました。
杉浦専務: 「QCというのは、クオリティーをコントロールすること、なんて考えちゃまずいんだ。みんなの手で、お客さんに喜んでいただけるクルマをつくる。そのために一人ひとりが何をしたらいいのか、問題は何なのかを考えてほしい」。
NHサークルのスタートは、ホンダの原点回帰を目指すことでもありました。
世の中でもQCが盛んになり、社内でもデミング賞を取ろうという声がありましたが、杉浦専務は聞きませんでした。
「デミング賞を取っていたってつぶれる会社がある。QCがちゃんと定着して生きて動いているなら、つぶれるわけはないんだ。『お客さまのためにいいものをつくろう』としつこく言っている方が、ずっと意味がある。おれたちはお客さまに一台ずつ買ってもらって、一台ずつ銭をもらってやっていくんだ。原点はそこに尽きるんだ」
と、事あるごとに杉浦専務は言い続けたのであります。
【世界中の仲間の活動に発展】
1979年11月の第3回全社大会の、タイホンダ・マニュファクチャリングの参加をきっかけに、NHサークル活動は世界にも広がっていきました。1984年には名称を全社大会から世界大会に変更しました。
【伝承】
1981年、杉浦専務はタイでのNHサークルに関する講演で、次のように語っています。
「私たちホンダでは、マネジメントと従業員が共有している目標があります。それらは経済合理性よりも、基本的に人間尊重に根差しております。企業を構成し、企業の成長の原動力になるのは、一握りの経営者や役員ではありません。企業で働くすべての人たちの心のベクトルを、『お客さまの満足のために』という共通の目的に向かってそろえ、活性化することです。それは、物・金・情報といった経営資源を本来の価値以上に活かすことになるでしょう。なぜなら、経営資源は『人』によってのみ活用されるからです」。
【NHサークル4極体制】
1990年には、世界を日本、ヨーロッパ、アジア・オセアニア、北米の4つのグループに編成し、自主的に活動しながら交流する、NHサークルの4極体制がスタートしました。
テーマ選定の見直しも行い、業務以外のどんなことでも、テーマとして取り組めるようにしました。
例えば、あるサークルが、昼夜逆転の交替制勤務で彼女をつくるにはどうしたらいいかという、そのサークルにとっては切実な問題をテーマとして取り組み、世界大会で発表したことがありました
講評になって、お取引先のコメンテーターが手を挙げて、こう発言した。
「とにかく震えが止まりません。こういうテーマを許している企業があったのか、と。これはスゴイことだ。これこそ、本来の小集団活動だと思います」。
今やNHサークルは、ホンダの企業文化の一つとなっている。自分たちで自由に選択したテーマに沿って自主的に活動する。世界大会は、あらゆる部門の人たちがオールホンダの仲間として交流できる場となっているのです。
出典: ホンダ50周年HISTORY、社報その他より引用
NHサークル関連商品の紹介
2002年NHサークル世界大会IN 熊本のポスターです。
勤めている事業所がNHサークルの世界大会に選出されたのです。
素晴しいサークルメンバーに恵まれ、一員として熊本で2002年12月13日(金)14日(土)に開催された世界大会出場は感動の二日間でした。
二日間のスケジュールを記したハンドブックと世界大会出記念のピンバッヂです。
発表の後のレセプショにで海外からの仲間達が社長に面白い質問をしていました。
Q:「HONDAの社長になるにはどの様な人がなるのですか?」
A:「HONDAの社長はなりたくない人がなってしまうんですよ」と回答し会場は笑いでいっぱいになりました。
当時の社長は5代目社長の吉野 浩行【よしの・ひろゆき】氏です。
パーティーでは、社長をはじめ役員室のメンバーも加わり、共に飲んで食べて、語り合って、交流を深めることができました。その中、この世界大会を通じて自らがオールホンダの一員であることを再認識出来たことがなによりも嬉しかった事でした。
NHPで始まった企業の体質改革は、NHサークルという小集団活動の場でも、従業員一人ひとりの中に浸透し、根を下ろしていったんですね。