藤澤武夫のことば

無から有は生じること

(1955.S30.2 社報 藤澤武夫)


農業用エンジンで考えたこと


わが社で作り始めた農業用エンジン-この種類のエンジンは今の日本の他の会社で製作されていないから作るのか。


とんでもない。日本の一流の重工業会社が軒を並べて製作している。ヤンマー、クボタ、三菱、ダイハツ、中島など。


農家の需要以上はるかに各メーカーとも製作して、ラジオ・新聞で猛烈な販売戦をやっていることは、天下周知の事実だ。


それにホンダがその中に入る。


「じゃ売れるか」


「良い事業だ。大丈夫だよ」 とはっきり言い切る事業家があるとすれば、前に書いた一流のこれらの重工業会社の事業家は全然事業家でないと判定せざるをえないとも考えられるほどだ。


また、これらの会社には優秀な人材がいないかといえば、


ホンダにいる若い人材のその先輩がウヨウヨいる。これらの事業家と優れたこれらの人材は、ホンダで作るこんなエンジンを作って売れないと考えているのか。また作る意欲がないのか。考え方を脱皮して、新しく創造することは中々難しいことらしい。どうしても世間並みになりがちで、他でもそうだから、ウチでも同じだと思って、そのものの本流について判断することができないのではないだろうか。


ホンダのような新前の会社が、作る余地のないほどの販売網と需要家も決まっているはずだ。だから大抵の場合、新規の製品に対しては見向きもしないのだろう。作っても売れまい。従って需要は頭打ちの産業だと判定せざるを得まい。


で、あった場合、駄目だと考えたら、これは仲間入りする余地がない。つまり、この事業は見込みがないから「無」と言わなければならない。「無」と思って、やらないとすればこれは永久に「無」じゃないかしら。


ここには新しい事業、つまり企業は成立しない。


さて、これで充分な論拠と決めてしまったら産業の発達は中止され、そして、いつでも他の人、他の会社でやったことを真似していくだけの会社となるのではないだろうか。従って前に書いた世間一般の常識通りなら、ホンダから永久に「有」はでてこないはずだ。 「無から有は生じない」と今から決めてしまったとしたら、前に書いた一流の重工業会社のそれらの先輩の判断しているところと同じような「考え方」をしているのではないだろうか。

 

しかし、ホンダはあえて、農発の製作を開始する。


 

無から有を生じるために。


そして、将来、この農発界で燦然(さんぜん)と輝きを発するだろう。


そして、この「ホンダ」から若い人が、その逞(たくま)しい独創的な想像力と実行力を受け継いで、次から次へと、連続して発展する姿を、また伸ばしていってくれると期待する。


そこで初めて、産業界に新しい息吹きを、誇ることができるだろう。


オートバイで考えたこと


オートバイ界で、現在ホンダは「日本随一だ」ということは自他ともに許している。

 

けれども五年前はどうか。わずか五年である。


他の会社は五年間にほとんど何の変化も、進歩もしていない。


メグロ、陸王、アサヒ等戦前から軍用としても、民間用としても、子供でも知っていたオートバイの名である。


そんな時期に、断然日本一のオートバイメーカーになるのだと公言した社長や私はこの業界から鼻であしらわれたものだった。


メグロ、陸王が言うのならともかくも。

 

第一、オートバイなんて、そんなに買う人があるものか。月に日本全国で百台売れれば関の山だよ。しかも名前の通っている会社があるから駄目だと、誰も相手にしてくれない。工場はベルト掛けの機械と、わずかな動力直結の機械、人員は四十名ぐらい。


銀行が金を貸すのに担保物件もない!


すべてが「無」であった。


今、この会社は月産四千台作って、全部売れている。


しかもそれが「あたりまえ」だと考えている。


誰が想像していたか。 「無」から「有」はでてきたと考えて違うのだろうか。

埼玉の白子工場を建て始めてから、約十億円を機械と工場設備につかった。


これは誰が考えても無謀だと言うにきまっている。


が、今動き始めている。だから優秀な製品となった。販売数量は日本の過半数を占め、他社を断然リードしたのは、去年の下期の実績がそれを証明している。


けれども、まだ完全な稼動はしていない。おそらく、あと二、三年後であろう。そのときこそ、すぐれた製品となって、他のいかなる大会社もおよばなくなるだろう。


何十年、何百年代々営んでいる農家でさえ、春種をまいて、秋の取り入れまで、待たねばならないし、またその間いろいろな肥料と手入れをするではないか。


この設備をしなかったとしたら。


今の従業員二千五百人は必要としなかったであろう。せいぜい四百人ぐらいしか雇用することのできない企業じゃなかったかしら。


協力工場においても、販売関係でも、この設備をしたことにより、直接、間接では随分の人数がこれよって生活できているのじゃないだろうか。


でも、あらゆる伸びるための準備は完了に近い。 「無」から「有」を生じたこのホンダがその「有」を活用するための段階は、「無」を「有」にしたその労苦に比べれば-と考えている。


漠然としたズバリも


このホンダが何か他の会社と違っているように漠然と考えると明和報に書いてあった。


不平不満はあるはずである。


が、一歩諸君が会社の門をでて、家庭に、あるいは友人に逢ったときに、ホンダにいることを諸君が自慢していることを知っている。


なぜであろう。


イ、新興会社であるけれども大会社である。


ロ、オートバイでは断然すぐれていて、いちばん数も売れているという誇り。


ハ、同年配の友達仲間にくらべて、給料が低くない。


ニ、言論が自由だから何でもいえる。(当然のことだが)


ホ、未来へ伸びていく会社のように思われるから将来幹部になれる。


大体こんなことが漠然とながらわかっているからだ。新しい会社だから規則も充分でない。


欠点も随分あるだろう。けれどもその本流を間違えていなければ逐次直して訂正していけば良いと思う。


ホンダのよい点は、悪いと気がついたらドシドシ直していくことだ。


社長の人格と技術


これこそ日本において、類例がないほど素晴らしいものだ。


次から次へと発展して新しい企業を生み、他の会社では考えられない宝庫を作ってくれるからだ。

人格は諸君が見られるとおりで、私はこの点では言わない。

諸君が勇んで、喜んで働く姿を見ているときには、社長は知恵の泉を湧かす。

諸君がそうでないときには、夜も眠られないぐらい心配する。そして自分の足らないことを申し訳なく感ずる純情な姿だ。


他の会社の経営者にこの姿があるだろうか。この頭脳をその生命のある限り諸君は、酷使すべきだ。これが、未来のホンダの繁栄をもたらすものであり、そして諸君が望む最も安定した将来の生活の根元をなすのだから。


今、この若い人達は、「何か従来の殻」を破ろう、そして新しいものを創りだそうと、仕事の面で苦しんでいる。結果がすぐでなかったり、壁にブツカッて焦っている。


このままではいけない、脱皮しなくてはと漠然と悩んでいるように私には見える。このような悩みこそ創造の母体であり、これは他の会社にない、尊いものだと私は思う。


どうか、諸君が、猿真似でなく、自分自体から生みだす英知をもって、独立、独歩、自分達二千五百人の判断で、大局を見、そして、青空を望むような濶達な心で、近代日本になかったような企業を創りだしてほしい。

 

若い人達は気短かだが、あまり焦らないでほしい。


このように、すでに、芽生え、発育しかかっている、この正確にものを判断し、他の人に頼らないこの心は会社としては独立精神であり、また、個人個人としても独立心に磨きをかけ、人間としての成長があると私は期待する。


私はやはり、この言葉を続けて言いたい。このままで発展させたのは我われ二千五百人の知恵、努力の結果であるから、我われだけの知恵、判断は尊いものであり、いとおしむべきことで、大事に育て、そして未来の栄光を得ようではないか。