藤澤武夫のことば
企業の自主性の価値
(1960.S35.8 社報 藤澤武夫)
数限りないほど、企業には種類があって、その企業の良否を判ずるのにも、いろいろの方法はあろうが、私は私なりのもので考えている。
世間では、自動車工業はブームで成長性があり、テレビは頭打ち産業になっていると解釈すると、それらの仕事をしている各会社について、一応その眼鏡をかけてみる。私はそのような見方は一切無関係にしている。
賭博性、僥倖性、追随性、乗遅性、飛降性、模倣性、見得性、堅実性、またここに書いた自主性とかに分けて見ている。
フラフープ等は賭博性であり、また何の変哲もないどこのとも同じような品物を、一つ広告の力でなどと、僥倖型のものもある。が、さて、千変万化の相手のあることとて、ようやっと、真似をし終わったら、相手が変わっていたなどと、企業はブームの中でさえ、中々ウマイようにはいかない。
日本人に対して、外国人が軽蔑したり、信頼を持たないのは、模倣盗用型企業が多いからである。これは、企業ばかりではない。思想だって、芸術だって多い。実際、真似ていて、真似ない振りをすることが、世渡りだと思っているのでは、到底自主的なものは生まれない。言葉で、あるいは文字の上で、のことなら、毎日、見過ぎるぐらいあるのだが……。
さて、なぜ、私があえて、こんなに強く表現するかというと、一見、手っ取り早くて、結構、手付かずで、楽なかたちで企業ができるように思えるからである。
世の中では、案外、これに対して、鷹揚だから、企業を存続させるのに、危険なことを忘れ勝ちになる。この点に気をつけて、いろいろの各企業会社を観察したときに、世間の人達の見方と違って、独自の意見が生まれてくる。
モペットについても、自転車のことを考えれば、誰でも、良い企業になることは理解するのだが、需要家の満足するものがないだけであったために、誕生しては、駄目になり、いつかあきらめて、また、誕生し、また駄目になるという過程を、ここ三十年ぐらい繰り返していたのである。ここで注意することは、その波は、くるたびごとに大きくなっていたことである。
ドイツのNSUが、毎月二万台を超えて生産されていた頃に、社長と私は渡欧した。そこであったことは、以前書いたとおりである。日本ではその時分、自動車業界は、欧州にモペット時代がきた、やがて、日本にもその流れがくるであろうと、見ていたことだ。
その時、二人で意見が一致したことは、欧州で作られているこれらのモペットは、やがて、飽きられるだろう、それも案外、早い時代にくるであろう、という点であった。
間もなくというより、その時分すでに峠を越していたらしく、グングンと下り坂を降りていった。
日本の業界の観測は、モペットブームは去った。二輪車時代は、やがて四輪車時代に移行する一つの時期であり、足がかりであると言い始めた。
そのときに、スーパーカブが誕生した。
世界最高記録がドイツのNSUの月産二万台、しかも、わずか一年未満で月産三千台に落ちているときに、"月産三万台を生産する"と発表した。そのときの状況、周囲の観測が以上のようなときに、あえて、宣言に等しい発表をしたことが、ジャーナリスト、経済雑誌にも奇異に感じたらしく、相当反発を受けた。
私達は、ブームということに関係なく、"需要家の本心から求めていたものを提供する商品が生まれたことを確信した"のである。
そして、世界中の誰もが、ほとんど、アキラメていたときであるだけに、その反応も大きいはずである。
模倣でも、盗用でもないから、他のどんなものとも、自由に比較検討ができ、誰が見ても、かけ値なしで、そのもの"ズバリ"の価値を認めることができる。この"商品の自主性"の価値が、そのまま、どのくらいの規模、構想でやっても、企業にヒビが入らないかを、見極める判断の基礎となるのである。
"原図"が、そのような自主的なものでなければならないと同時に、全社員が、あらゆる角度から、その道程を克服し、創造していったことが、この素晴らしい"原図"を消化し、企業とすることができたのである。
まったく、ここで言い換えるならば、現段階の会社全体の高いレベルが、この図面をこのように企業化し得られたのであって、他の企業会社では、ここまでの華は咲かないことを確信している。この業界に"二年の差をつけた"と確信して、本田技研は、鈴製へ取りかかったのである。
もちろん、他社は、この二年の差を縮めるために、必死に努力中のようであるが、私達は、その差を縮めることを許してはならない。
"広い道路、見通しの充分きく道路で、スピードをかけて、先頭を走ってゆく"姿が、今のカブなのだ。
"アンナ小さな、カブのような商品で、アンナ大きな工場を"とよく聞くが、
"コンナに危険でない商品は、いまの日本には、他にないはず、安心して、大きな工場を建てましょう"と答えよう。
ここで、もう一度繰り返しておきたいことは、
"ブームの中からばかり企業は生まれてくるのじゃない"
"すでに、ブームが去ったといわれるものの中からも、立派な企業が生まれることもある"
が、それにしても、自分に、"見透しできる力と、解決できる力"がないと、世間様一般と同じぐらいのことしか得られないということ、ではなかろうか。