本田宗一郎のことば

良品に国境なし

(1968.S43.1 社報 本田宗一郎)

 皆さんのこの手で、一千万台のモーターサイクルの記録ができました。これはもう、世界で初めてのことだと思うんです。スーパーカブの五百万台は、去年の五月に達成しました。今度は二輪全機種で、一千万台の記録が生まれました。全世界を通じて、このくらいの値段の製品で一千万台というものは、おそらく、今まで私の聞いている限りでは、他にない記録だと思っております。しかも皆さんの手で作ったこの商品が、日本だけでなくて、外国へどんどん輸出されている。世界百何十か国へ輸出されている。我われと、実際一つも商取り引きのないソビエト圏内にも、我われのものが入っておるという事実―私は、良品に国境なしという言葉をいつも使っておりますが、まさしくそのとおりです。

 良品であれば、どんな障壁でも越えて入っていくことができるという立派な証明を、皆さんのこの手で、この腕で、この頭脳で、この体で証明されたということは実にうれしいことでございます。皆さんに厚くお礼を申し上げます。

 
 皆さんに今日、いわゆる一千万台のモーターサイクルを作ってもらったこの基本というものは何かといえば、古い方は存知ておると思いますが、浅間でレースをやったときに、ヤマハにたて続けに四回も負けております。うちの連中もしびれをきらして、ヤマハはドイツをそっくり真似ておる。だから我われだって向こうの真似をしてやればいいんじゃないのか。そうすれば勝てるじゃないか。なぜこんなに苦労するんだろうという議論も出たわけです。

 そのとき私は、ドイツ人が考えたものが勝って、我われの考えたものが勝てないという理由はどこにあるのか。同じ人間である。我われは、もっとみんなの総智を結集することによって勝つことができるんだということから、みんなして考えた。そうして三年目に、ある輝かしいマン島グランプリ・レースで優勝をとげたわけです。もちろんその時代には、浅間なんていうものは問題でなかったわけです。これは誰にも負けないこの気骨が、要するに世界へ売り出す商品として育てあげてきたのです。現在の、皆さんの手で成しとげたこの品物は、決して安易なスタートではなかったんです。茨の道そのものでございます。

 
 この間の国際テレビにおいてもそうです。たぶん皆さん聞いておられると思いますが、佐藤首相がアメリカへいって、ジャーナリストとの会見において、日本はホンダのモーターサイクルとトランジスターを持ってきたけど、今度は何を持ってくるかというような質問があったわけです。そのとき佐藤首相立っていわく、私は東南アジアはじめ方々をまわったが、ホンダを実によく見かけた。各地で私を先導したオートバイもホンダだった。しかし、ミニスカートは持ってこないつもりだ、といって笑わしておったわけです。このくらい、とにかくモーターサイクルといえば、なにがきてもホンダという言葉になっているわけです。

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