本田宗一郎のことば
自戒―工業的道義心について
(1952.S27.9 月報 本田宗一郎)
世間でよく『あの人は人格者だ』と申します。
不正をせず、品行がよく、篤実で人当たりのよい人は確かに人格者であります。
学校の先生とか宗教家については正にこう言うことができます。
しかし技術者にあってはかような世の中の定義はそのまま適用されません。その人がいかに篤実で品行がよくても、その人の作りだす製品が欠点の無い優れたものでなければ技術者としては人格者とは申されません。
よい製品を作って世の中に貢献する人が技術者として人格者であり、またえらい人なのであります。
ここでひるがえって、えらい人について考えてみたいと思います。えらいという言葉を心理的に詮索してみますと、まず学者とか、大将とか大臣とか、富豪とかが考えられます。学問の深い教授、智某ある軍人、手腕優れた政治家も確かにえらいには相違ありませんが、私は人のえらさは、世の中に貢献する度合のいかんにあると信じます。
限られた人生においてその人のなした仕事の質と量によって、その人の価値は定まると思います。
すぐこわれるような粗悪な製品を作る人は、その人柄がどうあろうとも、技術者としては人格劣等であると断ぜざるを得ません。
某会社の製造している自動車のごときは、ジョイントがガタガタしたまま十年もそのままでありますが、これなど技術的良心の欠如もはなはだしい。技術者としては典型的な人格破綻者と言はざるを得ません。
私は自社の製品について、自ら欠点に気付き、また他から指摘された場合には即刻改正させます。寸刻の猶予も致しません。
乗用者各位のご忠言をわが社の宝とするのもこの故であります。人格者といえば道徳家か宗教家を考え、またいわゆる人格者であれば、すぐれた技術者であると考えていた既成の観念を、根本的に改めねばならないと私は真剣に考えます。
私は技術者は大衆が求め、大衆に役立つよい品を安価に製造し、技術を通じて世の中に貢献することに努めねばならぬと、自ら戒め、自ら励ますものであります。