本田宗一郎のことば
我が国オートバイの将来
(1953.S28.9 月報 本田宗一郎)
自転車の出現
現代、我が国においてひろく普及されている自転車も、飛脚とお籠の時代においては、その出現は正に驚異であり、スピード化そのものでありました。
その自転車に乗ってスピード化された人々は再び籠に乗ったり歩こうとせず、籠は芝居の道具に過ぎなくなりました。
時代の脚光を浴びたこの自転車も、現在欧米先進国にあっては、実用から離れて主にスポーツ用として使われていると聞いております。
スピード化
世は挙げてスピード化されています。我が国独りその圏外にあることは許されません。
スピードは我われ人間の本能であり、好むと好まざるとにかかわらず、我われの人生に直結するものであります。
歩くよりは車か汽車で、汽車なら特急、特急よりもジェット飛行機というのが私どもの欲望であります。
それ程スピードが魅力なのです。
距離より時間
もはや現代人は距離を論ずべきでなく、時間を論ずべきでありましょう。
東京―九州間に要する汽車時間で、オスローから我が国まで飛行機が飛んでくる時代です。
時間的にいうならば、九州とオスローは同距離にあるといえましょう。
このように、スピードは我われの本能であるとともに、必然的に時間的資産を生みだす結果となり、スピード化されただけ人生を豊富にしているのであります。
人生わずか五十年と言われますが、スピード化され、それを利用することにより、我われの人生は八十年にも百年にも匹敵することになります。医者や薬だけが寿命を延長するものでなくて、スピード化こそ真実の人生延長となり得ることを信じて疑いません。
アメリカの自動車
アメリカは今自動車の黄金時代を現出しており、歩くことそのことが珍しいまでに発達しています。
アメリカの日常生活は自動車を離れては考えられません。いうなれば自動車は彼らのスリッパであり、外出時には常に足を包んでいると言っても過言ではありません。
我が国の将来
我が国で高度に普及された自転車が、今後間もなくアメリカのように自動車に移行するとは考えられません。
この頃自動車の数も急激に増加はしましたが、我が国においては、経済状況と道路状況によって、自動車よりもむしろオートバイ時代となるでありましょう。
自転車のオートバイ化
我が国の自転車保有台数は九百万台と言われていますが、遠からずこの何割かがオートバイに置き換えられることも考えられるのです。
スポーツとしてならいざ知らず、前述のスピード化時代にあってはいつまでも人力による足踏みで満足さるべきはずはありません。
ドイツには二百五十万台のオートバイがあり、なお増加していると言われていますが、我が国では約二十五万台に過ぎません。
人口において日本は遥かに多く、しかも国民所得は大差がないと聞くにつけ、我が国のオートバイの増加が必要と考えられるのであります。
我が国のオートバイ工業
我が国においては今度の大戦後オートバイ工業が勃興し、今や二輪自動車のメーカーも七十を数えるに至りました。
その車種もメーカーも、今後ますます増加するでありましょうが、いずれも大衆の厳正な批判をあびずにはいられないでしょう。
質と量と美
さて問題となるのは、そのオートバイが質と量とともに美を兼ね備えたものでなければ大衆に支持されないということです。
いかに実用的なものであっても、それが芸術的美をともなわないならば商品としては顧みられなくなりました。
今や自動車にしろ、オートバイにしろ、実用の点はもちろん、その上に見て美しい芸術的気品のあるものでなければならなくなりました。走ればよいというのは過去の好ましからざる夢です。
輸入車との競争
近来外車の輸入は相当自由になり、国産車との比較対照は容易となりました。
そこで国産車は好むと好まざるとにかかわらず、外車との競争は必至となるでありましょう。
「良品に国境なし」とはまさに至言でありまして、かつて三万台のナンバーを持った外国自動車が、あらゆる制限規程まで設けられていたにもかかわらず、我が国の人が争って使用と乗用を望んだ事実が証明しています。日本一は絶対に世界一に通じません。鎖国時代ならいざ知らず、日本において第一位を誇っていても、外国製品が入る今日、その夢はもろくも破れて競争圏外に去らねばならなくなるでしょう。
世界一か亡びるか
内外を通じて世界一となり得てこそ、国内においても真の日本一となりうるのです。世界一か亡びるかの一つしかなく、中途半端は許されないでしょう。
外車を研究せず、単に輸出せんと計画するより先ず輸入されつつある現状を正視して、これを防止すべきであります。
すなわち輸入品に優るものを作り、輸入の必要をなくすることです。
輸出のプランよりも先ず良品の設計であり、その製作であります。
オートバイの精密度
オートバイはわずかな容積でより大きな馬力を要求されます。
そこで必然的に精密度が第一条件となるのであります。
戦時中、航空機のリミットは一センチの百万台であったが、今やオートバイ工業においてさえ重要部品は千分台が常識となりました。
わが社においてもエアマイクロメーターを用いてこの要求を満たしています。
工作機械
かくのごとく精密度が必要となると、従来の工作機によっては、量と質とがともに満足のいく生産は不可能となるのではないでしょうか。
人間の能力もさることながら、精密度が増すにつれ、機械、設備に依存する度合が高くなってまいりました。
わずかな数量を名人芸でやってのけたのは昔のことで、量的に、また質的に生産を行なわんとすれば、最新最良の設備と機械が必要となります。オートバイ工業も例外であるはずがありません。
わが社が四億五千万円の最新機械を輸入し、最新の工場設備をしているのもこのためです。
オートバイの輸出
かつて自転車が我が国に輸入され、日本人のものとなり、やがてその生産が始まり、輸出されたごとく、日本のオートバイも必ず輸出されるときがまいりましょう。
資材が少なくて、しかも工数の多いこのオートバイ工業は、日本には最も有望な、輸出の花形となりうる工業であることを信じて疑いません。
これを達成するために優れたアイデアとたゆまぬ努力を望むものであります。