本田宗一郎のことば
夢を喰う話
(1955.S30.3 社報 本田宗一郎)
カール・マルクスは「資本主義社会は、その自らの矛盾のためにやがて崩壊してゆくであろう。
資本主義は戦争という副産物によって破滅すべき宿命を持っている」と予言した。
しかし、それは完全に的をはずれてしまった。アメリカの資本主義はますます繁栄し、今後の景気の上昇もほとんど疑う余地がないと言われている。
原子力の時代に入った今日では、戦争という言葉で表現される内容が、一八〇〇年代にマルクスの頭で描き得たものとはまったく様相を異にするものとなりつつある。
時代がここまで飛躍してくると、もはやこれらの社会の発展の方向を彼の理論で体系立てようとすることが土台無理である。
今日の文化の進歩をもってすれば、戦争のために飛行機を作り、ロケット砲弾をストックして、きたるべき戦争に備えることは意味をなさない。日進月歩の社会では、昨日の軍備は明日の戦争には役立たないかも知れないからである。そこで今日の社会では、たとえ新兵器が案出されても、それを量産するような馬鹿馬鹿しいことはしない。
試作あるいは一部の生産に止めて、あとはいつでも量産できる態勢を保ちながら、次から次へと、新しいアイデアを蓄積していく時代に変わってきている。軍備の競争ではなく、アイデアの競争が現代の国際競争の実情とみるべきである。
そこで、価値に対する考え方が急速に変わってきていることも知らなければならない。
資本主義社会における経済の価値は、金何グラムに相当するかによって定められることになっている。
錬金術師が描いた夢は、もはや夢ではない。
山梨大学の先生は、ダイヤモンドの人造に成功している。
鉛の分子配列を原子力の作用で変えて、金にすることのできる日も近いはずである。
そうなれば、金単位などという価値についての考え方は、当然なくならざるを得ないだろう。
木材から砂糖は既に作られている。繊維も現にアミランその他に見られるようにカーバイト等の合成である。硫安は四十年も前から、空気中の窒素から抽出されている。
これらは食糧が工場で生産される第一歩である。
さらには、一九五〇年にアメリカで水中微生物のクロレラの化学育成が研究され始めた。
工場で蛋白質が生産され、澱粉が合成されるようになれば、田も畑もいらなくなる。
労働についての考え方も原子時代にふさわしいものとなるわけである。
もちろん機械化と合理化は極端にまで進むであろうが、それでも、いわゆるそれらの文明を作り出す能力 ―
すなわちアイデアだけは絶対に排除できない。
そこにアイデアの泉たる人間が高く評価される時代がやってくる。生命が大切にされる時代であり、人権が尊重される世の中となるわけである。
金も価値を失ない、食糧も工場で大量に生産されるようになれば、人間の欲望も今とはまったく変わったものとなることは当然である。
そこでは時間がいちばん価値あるものとなる。
時間だけは神様が作ったものだから、人間の文化が、どんなに進んでも、どうにもなるものではない。
食糧が工場で生産され、あらゆる価値が時間を単位にして計られるようになれば、もはや国境などというものはない。アメリカでも日本でも「時間」は共通である。決して異質なものではないからである。
水と空気とを回転させて食糧を作りだす工場の技術や内容も、別に差別されることはなくなるだろう。
かくして人間は欲するだけを工場で働き、その対価として、金ならぬ「時間券」を貰うわけである。
「時間券」を貰った人はどこへでも自由にその時間の範囲内で遊びまわることができる。
たまたまアメリカで夢中になって遊んでいたら「時間切れ」となったとしても、最寄りの工場で働いて、今度はアメリカ発行の「時間券」を貰って日本に帰ってくればよいわけである。
文化は大いに進んでいるから、ごく短時間働けば、たんまり遊べるだけの時間券が貰えるから、今日のように労働基準法などがあって、一日八時間精一杯働かなければ食っていけないなどといった話はみんな昔話となっている。
「時間券」が「金兌換券」にとって代わって、社会に通用する時代が目の前に迫っているのに、まだ誰もこれに気付いていない。まったくおかしな話である。