本田宗一郎のことば

製品の美と芸術

(1951.S26.11月報及び1952.S27.1月報 本田宗一郎)

 

 あまり美人でなくても、姿のよい女の方がいる。自分は顔よりも姿に深い関心を持っている。顔の造作は生まれつきだが、姿を生かす殺すは頭の働きによって定められる。まことに姿は心の鏡だと思う。

 

 上品にも、端正にも、下品にも、知能のいかんはすぐうかがわれるものだ。

 

 オートバイにもやはり姿がある。自分の信念では、姿がよければ内容、すなわちエンジンの構造、機能が充実していると思う。

 

 私は上品で、端正で、少し色気がある姿が好きだ。今度の四衝程ドリーム号E型はいささか、そんな姿を描いたつもりだ。私の描く夢の姿は、この後にまだまだいくつも続いているが……。何でもかんでも、どぎついアクセサリーばかりに気を取られているのは売笑婦のそれと同じで、内容は空虚だから魅力がないものだ。

 

 日本の機械工業は諸外国に全部負けているけれども、自分はオートバイの製造を天職と思い、こればかりは諸外国に劣らぬ絶対に美しい姿で実現したい。必ず実現したいと思っている。

 

 日本のおおよその工場を軍が支配していた時代の製品は、三八式歩兵銃によって代表されるように、実用価値一点張りの域をでなかった。一応の役に立つには相違ないが、世界の商品市場においてはほとんど無価値に等しいものであった。実用価値を具備することは、商品学入門第一課に過ぎない。実用価値の上に、芸術的価値をあわせ備えたとき、初めて完全な商品となるのである。

 

 たとえばアメリカの自動車のごとき、完全な実用価値を具備した上に、高い芸術的価値の域にまで達しているので、世界市場において優秀な商品としてもてはやされるのである。

 

 この意味から、現代の卓越した技術者は、優れた技術者であると同時に秀でた芸術家でなければならない。科学者の知恵と芸術家の感覚とをあわせ持たなければならない。

 

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