本田宗一郎のことば
私のものの見方、考え方
(1982.S57.8 くまもと弘報 本田宗一郎)
人間関係こそいちばん大切 覚えるはコンピュータでよい
昔、教わったことに「覚えている子はいい子で、覚えていない子は悪い子だ」という話がありました。しかし、これはあくまでも昔の話なんです。寺小屋時代には「読み、書き、ソロバン」の三つくらいだったから誰だって覚えられたのです。
しかし、今はどうですか?
電子工学の時代になって、一生やったって覚えられる量は知れています。私なんか、口じゃあ偉そうなことを言うけれど、実は何も知らないのです。それくらい難しいんですよ。
たとえば、昔の電気というものは、つける電気(電灯)とモーター、磁石くらいしか電気のうちに入らなかったのです。だから、覚えられるに決まっているでしょう。今、一口に電気と言っても、一生かかっても覚えきれません。だから、覚えた、覚えないと言って点数をつける方がおかしいのです。先生は全部知ってるかと言ったら、そんなに知らないと思うのです。
もちろん昔は、教えられたことをすべて覚えなきゃならないという時代があったと思います。たとえば、交通が不便な時代に、アメリカなりヨーロッパにいかなきゃならないとします。すると五十日もかかってしまうから、どうしても教えるべきことは全部知っておかなきゃなりません。生徒もそれに従って覚えなければならぬということになるのです。いわゆる〈記憶の優秀さ〉が非常に大切だったのです。
今はコンピュータが出現して、いとも簡単にボタン一つでデータを教えてくれるのです。こういう時代になって、覚えることがどれだけ必要ですかね。今、アメリカの人が知っていて、私が知らないことがあるとします。今では、すぐ電話をかければ、-その人に信用があり、人間的に好かれているなら-即座に分かる時代なのではないでしょうか。
私は、こういう時代には良好な人間関係がいちばん大切な条件だと思います。人間関係さえうまくいっていれば、どんな知識や情報でも入ってくるものです。そんなシステムの時代になってきたことを知らずに、昔のとおり指導しているところに愚かさがあると思うのです。
より人間的であってほしい
私は、覚えるということより、どんどん進歩していくことを知り、人のやれないことをやりたくて仕方がないのです。もし分からなければ、若い人達に聞けば分かるんです。何で不得意なことをやらなきゃならないんですかね。
ただ、私がここで強調したいことは、誰にでも好かれて立派な人で、「相手が君だから教えてやろう」という気持ちにさせるような人間になっていただきたいということです。それさえ持っていれば、何も学校をでなかったとかいうことは、大した問題じゃないですね。より人間的であってほしいですね。
私は自分が人間的だとは言いませんが、社長という職業をついこの間までやってきましたから、それがうまくつながってきて、私が聞けば直ぐ教えてくれて答が出るのです。自分が知っていればそれにこしたことはありませんが、聞いてこようが、カンニングしようが、私は同じなんだと思います。カンニングしちゃいかんというのは、コンピュータがなくて覚えなくちゃいけないという時代にはそうでした。今はカンニングしても平気です。むしろカンニングする相手が何人もいるのは素晴らしいことなんだと……そういうふうに親が思ってくれれば、子供だって気は楽だと思うのです。