本田宗一郎のことば
「知っている」だけでは価値がない
(1969.S44.4 社報 本田宗一郎)
君達はおのおの大学や高専、高校、訓練所をでているが、学校とうちとは関係ないということを言っておきたい。学校の免状を振り回してエリート面している者は、本田技研から辞めていきなさい。うちへ入った以上は、学校をでた人もでない人も、同じホンダマンである。うちは年功序列も嫌いなんだ。学校に関係ないというのは、仕事の質と量によってのみ我われは関係があるということなのだ。もし免状や学校に関係あるとしたら、小学校だってろくにでていないぼくなんか社長になれないだろうな。
ホンダに入った以上、知っているというだけでは何にも役に立たない、会社にも一つも寄与しないのだ、ということを認識してほしい。
品物を作って、売る、という行為があってこそ、会社というものは成り立つ。
君らが今まで教わってきて、いろいろ知っていることを行動に移すところ、それが実社会であり、会社なのだ。
よその会社のことはよくは知らないが、知っていることが偉いと思っている会社があるらしい。世間で一流と言われる学校をでれば、そこのエリートだと思っている会社もあるらしいけれども、うちはそうではないということだけは認識しておいてもらいたい。
知っていることは、コンピュータができた今ではたいしたことではない。もちろん、人間だって知るところはある。細胞学でいくと、だいたい親指の頭ぐらいの脳細胞がコンピュータの役目をしている。そこから引きだしてきて大脳で考え、そして、この手でこの足で、このからだで示すことが必要なのだ。
ところが、大脳の訓練を君達はまだやっていない。知っていることより、考えてそれを行なうことに価値がある、ということを認識すべきだ。行なうにあたっても、理論というものを身につけて、理論的に正しいか正しくないか、これでいいか、悪いかという判断をして行ないなさい。その判断の治具としてなら、知識も必要である。