本田宗一郎のことば
正しいものの見方
(1966.S41.4 社報 本田宗一郎)
「見学」と「観学」
世の中というのは面白いもんで、ものごとを表面だけ見て、どうのこうのと言う人が多い。「見学」という言葉があるだろう。
君達も、これから、工場見学なんかをする機会がある。だが、「見学」という字、あれは、見て学ぶということなんだろうが、目で見る見学では駄目だ。「見学」でなく観察する見方……、つまり「観学」でなければならない。
本当の見方というものは、観察することによってのみ、正しい知恵が出てくるんです。「観学」するには、何がいちばん大切か……。それは、先にも言ったことですが、苦労することなんです。
ある農村へいって、「牛の耳はどこにあるのか?」と青年に聞いてみた。
ところが答えられない。
君達の中で牛の耳のあり場所を正確に言える人がいるか?
実は、角(つの)の後にある。角でちゃんと耳を保護してくれている。その青年は、「そう言えば、そうだった」なんて言っている。
毎日、牛を見て暮らしている人間がそうなんだからね。
それで、東京へ出てきて、友人のある画家に、同じ質問をしてみたら、「ああ、それは角の後だよ」と、見事に答えた。
年に一回も牛を見ない東京の画家にすぐわかって、毎日牛を飼っているお百姓さんが、分からない。お百姓さんには牛の耳がどこにあろうが、要はよく働いてくれて、高く売れればいいんです。
だから、耳なんか、ない方がいいくらいに思っている。
ところが、画家の方は、常にものを見る眼ができている。ただ、表面を見るだけでなく、観察をしている。動物の生態を苦労して、観察している。
そういう意味において、君達は、本当に自分が正しい、いわゆる「観察の目」を開こうとしたなら、そのものズバリに、苦労することだ。これが、自分をいちばん育てる基盤である。
幅広い視野を持て
大体、日本人というものは、ものの見方が、狭い。
先頃、ある人が中共から帰ってきた。
帰ってきて、「中共の公園は素晴らしい。紙クズがなく、ハエもいないしきれいだった」と感心している。
冗談ではない。紙も、自由も充分にない、みんな詰衿みたいな工人服を着ている国に、紙クズがあるはずはないんだ。
日本だって、終戦直後は、紙クズだってないし、捨てる物もないから、ハエも少なかった。
スイスのように、生活物資の豊かなところに、ハエや紙クズがないのとは、わけが違う。単純に、表面を見てくるから「見学」になってしまうんです。
これと同じように、日本人は、本に書いてあることは何でも権威があると思っている。
本に書いてないことは信用しない。
戦時中、私は、ピストンリングをやっていたが、あるエンジンメーカーの副社長で、工学博士なんていう肩書のある男が、ピストンリングが減って困ると言ってくる。
うちのピストンリングは減るわけがない。だけど、減ると文句を言っている。それではお宅のエンジンを見せてくれと言って、そのエンジンを見たら、だらしのない、ひどいエンジンなんだ。こんなエンジンだったらピストンリングだって減るはずだ。
先方は、「何を言っていやがるんだ、俺はその方の専門家で工学博士だ」というから、「本を書いたらエキスパートなのか。俺は、そんなこと、とうに知っているぞ!」と言ってやった。
日本人は、工学博士だの、本を書いた人でないと、エキスパートと認めないようだ。
こんな、やぶにらみの人間にならないでほしい。
新入社員の中には、大学を出た人もいるだろう。
だが、大学を出たからといって、知恵があると思ったら大間違いだ。
大学なんか出ても、ボンヤリしていると、みんなから笑われるからな。
ものの見方というものは、こういったように、考え方によって、いろいろと違ってくる。だから、何かことを行なうときに、見方が悪いと、何でもとんでもない方へいってしまう。
見方というものは、常に、視野の広い、ワイドレンジで見てほしい。
勇気をもって仕事に取り組め
今、自動車業界は、ちょうど戦国時代みたいな時代に入ってきた。
我われが、今、こういう乱世の時代に商売をしているということは、実に、働きがいがあろうというものだ。
こんなときに、君達新入社員が入ってきたんだから、大いに働いてほしい。
苦労に挑むという考え方を、しなければならない。
楽をしようと思うならよその会社にいった方がよい。
うちへ入った以上、苦労は覚悟してもらう。そのかわり、うちはどこにも頼らない。
外国の模倣もしないし、パテントも買わないし、政府のお世話にあずかろうなどとは考えない。
うちは、うちの独自の道でいくんだということを、はっきりと宣言する。
企業の合併が盛んなようだが、それとはうちは一切関係ない。
政府が合併しろといっても、うちはやらない。
従業員や、株主から任された社長であるならば、やはり、株主や、従業員の幸福を願う権利と義務がある。
社長である私の基本は、あくまでもホンダであり、株主であり、君達従業員なんだ。
この限りにおいて、政府がどう言ったから、どうだということはしない。
そのかわり、合併しろと言われてもしないが、してはいけないと言っても、こちらの都合がよければ、やるかも知れない。有利ならやる。
よそがどうのこうのには、一切関係ない。
だから君達も、勇気を持って、ホンダの中へ新しい考えをどしどし入れて、よその会社、企業にない、ホンダ独自の道を歩んでほしい。
新しい君達が入社しても、古い考え方をするんだったら、視野のせまい見方をするんだったら、苦労を嫌うんだったら、即時に、会社を辞めてもらう。
企業を守るためには、そのくらいでなければならないと思う。