本田宗一郎のことば

乱世乱読

(1962.S37.10 社報)

 

 

 企業経営のたしになるというので、徳川家康を主人公にした小説を、経営者やそれに遅れまいとする中堅サラリーマンが、こぞってむさぼり読んでいるらしい。僕はその本を読んだわけではないから、ここでその内容をウンヌンする資格はない。しかし家康は平和を求める武将であり、家康を語らぬ者は経営者にあらずといった手放しのほめ言葉を方々で聞くたびに、日本の経営者もいよいよ手づまりになったな、という印象はぬぐえない。

 

 

 人間というものは功と罪とによって評価される。ここで徳川家康に関する立川文庫時代の乏しい知識をひっぱりだして恐縮だが、「百姓は生かさず殺さず」というような、およそ非人間的な名セリフを残し、大名の妻子を江戸屋敷に人質としてムホンを抑え、加藤清正に対する毒マンジュウ事件といった権謀術策をろうして徳川家の安泰をはかり、鎖国によって三百年間も日本を眠らせる基礎を築いたという点から判断すると、どうやら家康は罪の方が多い人間ではないかと思う。

 

 人間である限り、どんな悪人でもどこかいいところがあるもので、作家がそこに照明をあて、面白い小説を書くのは自由であるし、読者がそこから教訓をつかむのもいいことだが、その人間が果たした歴史的役割を忘れてしまっては、ヒイキの引き倒しになる。

 

  

 とにかく所得倍増ブームのときは速攻型の織田信長を読みふけり、不景気が続き自由化を目前に控えると慌てて「鳴くまで待とうほととぎす」といった調子で徳川家康に飛びつく経営者の物の考え方は、あまりにもインスタントであり、無定見過ぎはしないだろうか。鎖国のおかげで今ごろ貿易自由化に苦しめられているのを忘れて、トップがこんな調子では、従業員は安心して働くことができまい。

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