本田宗一郎のことば
七〇年代最大の課題
(1970.S45.4 社報 本田宗一郎)
企業の開拓精神
ホンダは独自のオートマチックを開発した。国内の他メーカーは外国メーカーと提携している。しかし、ホンダマンは舶来優先じゃ承知しない。開発に着手してみたら、四万五千の特許でがんじがらめだった。しかし、しょせんは人間が考えたことだ。神さまが作ったんじゃない。それなら我われで解けるはずだ。考えたものはもうすでに過去のものだ。現代に生きるなら、新しいものを考えればきっと解けるはずだ、ということから創意工夫をみんなでこらして、まったく特許にかからない、しかも簡単なものを作った。このオートマチックは日本人が作った、我われが作った、まったく混じり気のない純粋なサラブレットだという誇りを持っている。
企業の創造性
工作機械も我われの手で作ったものを使っている。HONDA一三〇〇生産ライン、これはエンジンからボディラインにいたるまで、うちの若い連中のアイデアで作ったものだ。なぜこんな一見無駄と思えることをするのか。機械は買ってきて使えば簡単だ。金儲けを早くしたいならそうする。しかし、いつも他人ばかり頼っていて、自主性というのがなくなった企業は、これからほろびる企業だということを申し上げたい。いちばん大切なのは何か。これからは、創造性によって、いつでも主導権を握れる技術を養成することがいちばん大切なことなのだ。今、日本では企業の合併などで外資に対抗しようという動きがあるが、真に恐ろしいのは資本力ではなく、海外の独創性ある品物がきたときに、日本がイミテーションであることだ。人まねをした者は、いつでも戦々兢々としていなくてはならない。我われは一つ機械を作るにしても、我われの頭脳と腕で、みんなの知恵で、いつも独創性というものをそこに盛り込んで、企業を安泰にするということを考えている。これが、今後残された一九七〇年代におけるいちばんの課題である。