本田宗一郎のことば

アイデアは資本に優先する

(1973.S48.4 社報 本田宗一郎)

 現在、各方面で当社が開発したCVCCエンジンを報道していますが、皆さんの先輩の中には、このエンジンの完成を目指し、いく日も徹夜で取り組んだ人が大勢います。しかし、CVCCエンジンは、そういう特定の人達ばかりでなく、全員の努力の賜物だということを忘れてはなりません。

 車の排気ガス公害という問題に対して、マスキー法というものが発表されたとき、私は、しめた!と思いました。というのは、この公害対策は「金があればできる」という問題ではないからです。日本国内でも、わが社以外に有力な自動車メーカーがあり、国外においては、日本全土を買いとってしまうような巨大資本の同種企業があります。しかし、マスキー法によって我われは、世界の巨大メーカーと公害問題では同じスタートラインに立つことになったのです。同じスタートラインに並んだら、資本の大小によって勝ち負けが決まるという論理は、何ら成り立たないのです。すなわち、"我われのアイデアと努力だけで世界と勝負できる"-アイデアなら決して負けないという自信-これが私がしめたと思った理由です。

 話は戻りますが、かつてオートバイを作り始めた頃、ホンダは浅間のレースで四年間、立て続けに負けました。勝った車は、どれも外国のエンジンや部品を積んだ模倣車なんです。しかし我われはその四年をかけ、自分達だけの力で考え、独自のオートバイを作りあげ、五年目に見事優勝を遂げたのです。そしてちょうど十八年前、「日本一は世界一でなければならない」という考えから、世界が認めるイギリスのマン島レース出場を宣言したのです。しかし宣言はしたものの、実際のレースを見た私は、当時のマシンでは「とてもいかん」と思い、それから三年間というもの、必死でオートバイ作りに取り組みました。そして四年目、ホンダのオートバイは、なんと五〇cc・一二五cc・二五〇cc-三クラスの一位から五位までを独占してしまったんです。そのときほど、やればやれると思ったことはありません。皆さんの先輩はこの異彩を、あくまでも努力とアイデアのみによって成し遂げたのです。

 ホンダは、このとき(マン島レースに臨んだとき)から、燃焼効率という問題も科学的に究明し続けてきたわけです。当時は、今のように電子工学は発達しておらず、各種の計器作りから始めねばならなかった。だから世間から「ホンダはあんな小さい会社で、あんなことに手間・暇かけてる。おかしいんじゃないか」などと言われたものです。しかし、何としても自分のものを作りたかったんです。燃焼効率の追求というテーマは、その頃はGMでさえまだやっていませんでした。こうして今では、失敗に失敗を重ねたときの経験がCVCCエンジンに開花し、公害対策に偉業を発揮しているのです。一握りの会社が、この目的のために、余分と思われる仕事をしたのです。その研究の成果を皆さんの先輩がしっかりとつかみ、このときとばかり力をだしあって作り上げたのが、このCVCCエンジンなのです。苦労はしたが、今では大いに報われています。栄冠の陰に涙あり……新入社員の皆さんには先輩達が築いた、こういう伝統をまず認識してもらいたい。そしてさらに継承していってもらいたい。

<<前のページ                                                   次のページ>>