藤澤武夫のことば

桑の根っ子を抜かないようにしよう

(1961.S36.4 社報 藤澤武夫)


近代産業を成り立たせるには

 

昔、油紙というのがありまして--ぺらぺらしゃべるやつを油紙といいますけれども、あの油紙に麻糸を通したのは明治七年だそうですが、その麻糸を通したためにその油紙が非常に丈夫になった。


これは、皆さん知らないかもしれない。いまではほとんどビニールを使っておりますから、油紙なんか使う人はいない。その油紙が非常に役に立ったのが、明治十年の西南戦争のときで、官軍が、官軍というとおかしいんですが、西郷隆盛のほうを攻めていく部隊が、あの油紙を背負っていったそうです。雨の日にも、その油紙をかぶっていたためにぬれないですんだ。それまでは夜寝ても、夜露にぬれてもかぶるものがなかった。今ですと、天幕なり、なんなりあるんでしょうけれども、その時分に油紙を発見したということは、これはたいへんなものだった。そうして油紙を発見した人は、西南戦争の明治十年この方、それからずっと非常に繁栄しまして、日露戦争時分には大財閥になったわけです。


それで油紙は永久に繁栄するかにみえたんですが、あいにくと時代というものが変わってしまった。ところが、あいかわらずその二代目、三代目の方は、やっぱり先祖の業だからというんで、それに固執しておったために、もうこれはビニールの時代に入れば全滅。今ではもう皆さん、油紙に麻糸の通ったものなんて知らないわけなんです。


それじゃ企業として明治二十年なり三十年のときに、その油紙というものが、企業の価値がなかったかというと、これは絶対にあったんです。


ただそのときに進歩する過程というものについて、盲目であったということなんです。我われが知らなければならないことは、我われのおかれている位置が、我われの進んでいく方向が、正しいか正しくないか、ということを知るのが、いちばん大事なんです。


だから、今現在、繁栄してるかどうかということは、それは二番目になってしかるべきである。


ホンダの生産台数を振り返ってみても、うちがはじまった二十三年から二十七年頃までの四年間は、今のグラフではもうぜんぜん見えない。これっぽっちの線でしかない。それが一年の生産高だからその時分にすれば、オートバイというものなんかは、そんなに需要があるということを誰も考えもしなかった。しかし三年なり五年なり、だんだんと積み重ねて、これが将来伸びるという確信をもって進んできた。


もちろんその時分には、もっとほかにいい商売がいくらもあったんです。あれならもうかる、砂糖だとかセメントだとか……。そういうものを作れば充分企業としても成り立つということもわかっていました。しかし、それでは近代産業というものは成り立たない。みんなが将来ほしいであろうというものを、じっくりと考えて、それに向かって進んでいくことが必要なのです。


桑の根っ子を抜かないようにしよう

 

私がドイツへ行って帰ったのは、たしか三十二年の正月なんですが、そのとき飛行機の中で隣合わせたのは、長野の蚕糸学校の校長先生です。イタリアへ繭から生糸を取る方法の機械を売ったんで、それの説明に行ってきたと、こういうことでした。それじゃ、イタリアという国は、蚕が盛んなのかと聞いたところ、非常に盛んだという。イタリアとフランスでは蚕が非常に農家で作られているということです。それで蚕の飼い方なんか聞いてみたら、やはり日本の農家と同じような作り方をしている。そして作られたものはどこに売れるのかというと、イタリアでは、ほとんどがソビエトに行くそうです。要するにソビエトの金持ちのところに売られていく。それからフランスもソビエトがいちばんのお客さんだというこを言っておりました。そこで、これからもその生糸というものは盛んになるかと聞いたら非常に盛んになるということを聞いて帰ったわけです。


ところが日本へ帰って、翌年の三十三年のときには、絹が大暴落を遂げてるわけです、日本では。そして絹糸がぐんぐん下がった。そうすると繭を政府の資金でいちおう買ってやるわけです。繭がうんと倉庫に山ほどになっちゃった。その繭資金も限界がきたので、繭はこれ以上面倒見きれない、生糸はもうだめなんだということを農林省が言い始めたわけです。一流新聞もこぞって、もう繭の時代ではないと、生糸の時代ではないんだ、化学繊維製品の時代に入ったということを書いたわけです。


今の世論で、こういうように、農林省が言ったり、書いたりすれば、大衆がそう思うのも無理はない。


そこで農家の人は、何十年もあったという桑の根っこを全部ひっこ抜いちゃった。桑はとてもだめなんだ、蚕を飼ったってしょうがないんだから、まず桑から取っちゃってほかのものを植えようというので桑を全部ひっこ抜いてしまった。


ところが三十五年になったら、世界的に絹が不足してきたわけです。そのときには桑の根っこをひっこ抜いてしまったあとで、もう蚕は飼えない。


そのことを、私はホンダ会で話した。


自分たちの大事な商売なんだ、本心から一生飼うものならば、やたらに桑の根っこをひっこ抜いたらだめだと。


自分で二輪車がだめだと思うのならばそれでいいだろう。しかし、みんなが軽三輪だ、バスに乗り遅れちゃったらたいへんだということだけで、それだけ早く商売を切りかえないと乗り遅れるようなつもりでいると、これはとんでもないことです。なるほど二輪車一台売る努力にくらべ、過渡時なブームなんだから楽なんだ。ドリームよりは楽だ。ベンリイを売るよりは楽だということだけでくっついていったら、いったいなんの商売なのかと、なんの人生かと--。二輪がどうしてもだめだと言うんならいきなさい、それならばはっきりとよすべきである。もし片手間でやるというのなら桑の根っこを抜くのと同じであろう。


我われは、やたらにだれかが言ったからといって、自分の心の底から納得しなければ、桑の根っこは抜くべきでないという説明をしたんです。


それから一年たちまして、現在になったらどうかというと、軽三輪は一年使ったもので、二十万円以上のものが二万円か三万円なんです。ドリームは一年使ったらどのくらいかというと、七万円から八万円。ベンリイだって一年使ったもののほうが、軽三輪よりも高い。もうこれは軽三輪の将来を暗示している。


ですから今でも代理店の人が、私に会いますと、桑の根っこひっこ抜かないでよかったですよ、専務さん、と言ってくれますが、本田技研のほうとしても大助かり。その人たちに桑の根っこを抜かれるようなつもりで、パカパカよそへ勝手なことされちゃったら、ドリームなりベンリイなりは去年のようには売れなかったでしょう。


だから我われは、やはりそのものの本質をつかんで、これが正しい、これがいいものだとなったら、迷いをなくして、はっきりと放さないことだと思う。


そうすれば、我われのいくてについて十年先がどうだといったら、大丈夫ということで返事できるはずなんです。


二輪車というものを世界一にするといって、みんなでがんばり合った本田技研ならば、やはりこれを守り通して、世界の動きというものをはっきりつかんで、現在の線を崩さないことが大事であろうと、こう思います。