藤澤武夫のことば

成人の日に寄せて

(1956.S31.1 社報 藤澤武夫)


二百六十四人もの諸君が成人になられる。心から「おめでとう」を申しあげたい。君達こそが我われの若さの象徴であり、伸びゆくホンダの代表選手なのだから。


ここで新しく大人の社会へ門出する諸君に対して、お祝いの挨拶とともに激励の言葉を申し述べてみたいと思います。と言っても決して権利、義務とかの固苦しいお説教を始めるつもりもなく(そんな資格もない)ただ君達の喜びなり希望なりが、とりもなおさず我われも含めてみんなの喜びであり、希望であるといつも考えているからです。そして会社経営者の一人として、諸君に対する誠意をこの機会に披瀝(ひれき)しておきたい。


私など明治、大正、昭和、と約半世紀生きてきたが、それは目まぐるしい変転の連続でした。その間に栄枯盛衰をイヤというほど見せつけられて、人生のきびしさを骨身にしみて体験し、また一つの目標をたて、それを守っていくことの難しさを教えられたのです。


しかし、これからの時代、つまり君達若い世代が今後に経験していこうとする社会は、それとは比較にならぬ程の激しい動乱の巨歩を進めていくに違いありません。おそらくこの五年ないし十年は、過去の五十年、百年にも匹敵するすさまじいテンポで、好むと好まざるとにかかわらず我われを変転の渦中にのみこんでいくことでしょう。


ことのよし悪しは別として、それが諸君の、そして我われの宿命であり、とにかく未来に生き、将来にすべての希望と夢を託す我われにとっては、どのようにして新時代に対処していくかが問題です。すなわちこれが諸君の人生目標にもなるのではないでしょうか。


今までもそうであったように、今後の社会的発展も生産界の技術進歩に負うところが大きいのですが、オートメーションなどと呼ばれる新段階にきつつある現在において、生産会社の一員として我われがどのようにあらねばならぬか、みんな真剣に考えなければならないところです。


このような情勢にあってみんなが勉強のスピードを増していかねばならないのですが、しかし時代のテンポはいくら早くなっても、個人個人の向上発展の速度は以前とそんなに変わろうはずがありません。社会人としての知識、教養、技能を身につけるには、いくら努力してもある程度の期間がかかりますが、このせちがらい社会では充分な余裕も与えられず、ますます時代とは逆行する結果になる。この混迷が現社会に充満する矛盾と不安に反映して、ときにあせりとなり反抗となって現われた場合、一般の世評は君達をよくは言わないのです。落ちつきがない、ダイジェスト的知識だ、責任が薄い、功を急ぐ、勘定(かんじょう)高い……などと。これらの大部分は社会の責任であろうとも、諸君の罪ではないことが多いのではないでしょうか。


さてそこで、わがホンダが君達若人の豊かな生活の場であるのみならず、未来への希望と飛躍のステップたらしめることこそ、私達経営の責任にある者の歓びであり、最も重大な使命であると痛感します。落ちついて勉強ができ、職業人としての技能を磨くと同時に、立派な社会人たる教養を充分体得できる環境と組織を一刻も早く作りあげたいのです。無論諸君の積極的努力が何よりも重要な要素ですが、その努力を無駄なく実らせる職場にしたいのです。


これこそ成人の日にふさわしい贈り物となるでしょうが、実際には一人一人の性格、能力、目的、生活等も異なるので、みんなの満足を得るためにはなかなか距離があるようです。でも、おのおのが個人としての特長を充分に生かして、みんなが公平に機会を持ち、努力が正しくむくわれるようにしたい。たとえば計画をたてることに優れているが仕事そのものはあまり得意でない者は、企画または管理者としてのびる可能性を育成し、また管理者としては不適格でも、機械を愛し工作技術に優れた者は立派な技能者になり得るようにする。その双方とも会社にとっては必要な人物であり、職種に差別なく同等に待遇されるべきだと考えます。


要するに、どんな種類の仕事であれ、各人の能力が今より以上に正当に評価されるようにするためには、組織、規則の変革およびその他の改善も必要あらば断行する決意を持っています。が、それには全員の理解ある協力と、各担当者の慎重な計画によらなければならず、従ってある程度の時間がかかるのはやむを得ないことかも知れません。そして、たとえばさ細な事柄でも諸君からの積極的な建策や意見は歓迎するでしょう。それは今後の計画に充分考慮され、また重要な指針ともなるところです。かくして、激しい社会の変動にもまどわず、恐れず、あなどらずに、おのおの自己の着実なペースを守り、相互の信頼の上にたって最大の努力をつくしてこそ、輝やかしい未来が我われの行く手にあることを固く信じるものです。