藤澤武夫のことば
今後の生産計画
(1956.S31.8 社報 藤澤武夫)
二輪車の生産状況は膨大な数字である。これは弱電部門ブームと現在同じ方向にある。泥沼に入り込む一歩手前の現象と見て見られぬことはない。ある量を生産しないかぎり、他の製品に売り込まれる。ひかえ目にすることは敗北の第一歩である。需要家はいる。販売店に商品を送り込んでおかないかぎり、この業界として立つ機会はない、とばかり、ここのところ各社は猛烈な生産増加である。
もし来年もこの調子を続けると、どう考えてもケガをする会社がでるのではないかと思われる。弱電機のメーカーと違って資本力が少ないこの業界である。
なお悪いことは、弱電メーカーのように徹底的コストダウンの計画がないことだ。下請部品メーカーは二輪車各メーカーからそれぞれ量をふやしての注文に気をよくして、部品単価の合理化生産することなしに、ただ数量の増加による利潤の多くなるのを喜んで、甘いものに集まる蟻のようにしている、とも見える会社がある。下請企業に依頼しているだけの会社では低コストになることは到底望むべくもない。日本では数をふやして注文することは、逆に単価の引き上げを意味する。原料高の製品安、最も端的な表現だ。
アメリカの発展の原動力は諸君もよく知っていることだが、安く作る方法を徹底的に検討した、と考えてさしつかえないであろう。
需要があれば安くできる、と日本人は言うのだが、どうも、いつも逆になるようである。しかし、このことと真剣に取り組んでいる数多くの会社がある。その会社が、近い将来の産業界の花形になるであろう。
今わが社は、数量を増加して各社の増産と歩調を合わせることがよいか、数量はおさえて、販売比率は下げても経営内容をよくすることに努力することがよいかの、天下分け目のところである。
まだまだコストダウンさせなければならない多くの要素がある。これを徹底的に探究し、理想的原価にもっていくことが、現在とるべき第一番に重要なことであると、社長は経営の中心を明らかにしている。
油断のならない時期は近づきつつある。
五月まで貸しだしを急いだ銀行はまたひかえ始めた。そのままでいくともいえないし、また貸しだしを多くするともいえない経済界である。ここは泥沼へは入り込みたくない。業界に一波乱起きたときは、逆に生産をしぼることもあり得る。市場にある膨大な量がダンピングされるような場合は、特に緊急にこの措置をしなければならないであろう。
そのような時期が過ぎたとき、低下させることのできた原価をもって販売価格を下げ、ゆっくりと需要をふやしつつ生産数量を高めていこう。
生産品目の種目をふやすことは必要である。着物の柄を一つにして、これでよいのだとメーカーが決めて考えてしまうのはよくない。戦争中の国民服と同じでは購買意欲は起きない。着物のようにいろいろの品物・柄はのぞめないとしても、この需要家の心理は見逃してはいけない。