藤澤武夫のことば
ありがとう
(1955.S30.4 明和報 藤澤武夫)
この間、九州へ旅行した折、例の菅原道真公の太宰府の梅が盛りだとのことで、立ち寄った。赤い色彩の清麗なお堂である。回り廊下は生花の展示会らしく、地方の人が、その持ち込みと、飾りつけにおおわらわの様子である。と、それを見ている人の中に九州のある代理店の帽子をかぶっている方がおられた。テッキリ代理店の人の朝帰りで、キマリが悪いので、家へお戻りになるのに時間をズラしておられるかと思った。なにせ時間は九時半頃であるし、こんなことには割合に察しのいい私であるから。
私は自分の名前を名のり「初めてなのですが、ご案内いただけないでしょうか」とあつかましくも申しでたのだった。心よくご説明をうけたのでした。あとで、支店で聞いたのだが、ジュノオ号のご購入のお客様に一つずつお渡ししてある帽子であったのだとのことで、販売店系統の方ではなかった。しかし、よくその制帽?をかぶっていただけると思ってたずねた。その代理店は実に素晴らしいものであることを知ったのであった。その帽子をかぶっているのを遠くから見れば、知人でなくとも、手をあげて挨拶をすることになっており、福岡の市内では随所でこれを見受けるとのこと。そのときその帽子の由来を支店の連中が、こもごも話をしてくれたのである。
話というのは、昨年四月、この代理店主は佐賀から店をここにもってきたので、全然土地とは懇意がないのである。
苦心して販売したジュノオは故障続出であり、悪評さんたんの状況である。中には買ったばかりの新車に定価金五万円と貼紙して店の前にだすとまで怒っていた人さえもでてきたので、この代理店の人達の苦労はなみ大抵でなかったのである。そんな時分に四十人ほどのお客様と一泊どまりの遠乗会をしたのである。その晩お客様は、
「このボロ車はドコソコが悪い」「この車ぐらい悪いのはホンダのなおれだ」と普段思っていることを、遠慮なく、酒の肴としてうっ憤をはらしたのであった。まったくこんな場合は穴があれば入りたい位のもので……
翌朝お客様が旅館をでて自分の車のところへくると、これはどうしたことだろう。全部水洗いして綺麗になっているではないか。エンジンをかけると、昨日の文句を言った故障箇所が急に、直っているのである。この代理店主以下、全部の店員が目を真赤にしているのは、夕べの徹夜作業を物語っているのである。 「お早うございます」と店員一同がお客様に朝の挨拶をしたときには、このお客様、皆顔を合わせたのであった。お客様の一人であるレストランの親父さんが、 「皆さん、私は何も言えなくなっちまった。今日のこの日を記念して、私達、何かこの店の栄えるような決議をしたいが」と動議をだしたのである。それに答えた一人が、「今日は商売の仕方を教わった、ありがとうと私達からお礼をしなくてはならない」
かくて、ジュノオ号の友の会が結成され、この副産物がこの帽子であったのである。災いは福と変わったのである。この友の会の会員が、お客を次つぎと紹介して、この店の需要家を殖やしてくれている。
ありがたいことだ。
同じ事件でありながら、その結果が、悲観的材料として暗くもなるし、またもの凄い光明の「繁栄への道」を見いだすことになるのである。
追いつめられたときこそ、男性としての本当の姿がでるのであることを考えて、私もまた、「ありがとうございます」と厚くお礼を口の中で言ったものである。